本校は、埼玉県北部の農村地帯にあり、学区の南にはJR高崎線が、また学区内を国道17号線、旧中山道が通っています。また校区の北側には烏川が流れ、群馬県と接し、赤城山をはじめ五州の山並みが遠望できます。
明治19年(1886年)4月26日に上喜太小学校が忍保善臺寺を充用し開校したところから始まります。明治27年に現在地に移転しました。
大正3年(1914年)には、神保原尋常小学校と改称し、昭和16年(1941年)に神保原国民学校、さらに第二次大戦後の昭和22年(1947年)には6・3制の実施により神保原小学校と改称し、神保原中学校も併設していました。その後、昭和29年(1954年)の町村合併により七本木村、神保原村、長幡村、及び賀美村が廃されて上里村が設置されたことに伴い上里村立神保原小学校と改称され、昭和46年(1971年)の町制施行に伴い上里町立神保原小学校と改称されました。昭和62年(1986年)には開校100周年記念を祝いました。
令和2年(2020年)度を迎えた4月1日現在、児童数は229人、11学級の中規模校です。